まず、長曽根虎徹(ながそねこてつ)の話からしなくてはならない。新刀鍛冶として「長曽根虎徹」は最高の評価を得ている。新刀とは、慶長年間(一五九六〜一六一五)以後に作られた刀のことだ。
ちゃんと、広辞苑にも【虎徹】として載っている(彦根は「乕鉄」という文字を使っている)。
『江戸前期の刀工。名は興里(おきさと)。入道して古鉄・虎徹と称す。近江長曾禰に生れ、越前で甲冑師として名があったが、江戸に出て刀工として大成。地鉄が緻密で切れ味鋭く、江戸刀工を代表する一人。長曾禰虎徹(一五九六〜一六七八?)。』
虎徹が作刀の修行をしたとされる井戸が今も長曽根の湖岸近くに残されている。碑文の解説はこうである。
『若い頃は福井に住み、感ずるところあって、刀工を志し、この長曽根の地で作刀の修行に励んだ。後に江戸に出活躍……』
彦根と無縁ではない。昔、長曽根にコテツ丸というボートがあった理由もここにあったのだ。
新撰組の近藤勇が持っていたのは『虎鉄』だと言われていたりする。
江戸へ出たのが55歳。人生半ばにして一念発起、転職し、精進を怠らず大成したわけである。人生に迷ったら、虎徹の井戸を訪ねてみるのもいいかもしれない。
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