あっ!
商店街の歩き方
中央商店街と登リ町グリーン通り商店街の間
日本初の盲導犬
2002.11.10
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発行 彦根商店街連盟
編集 彦根商店街連盟広報部会
 中央町と登リ町の間には閑寂な不思議な都市空間が広がっている。彦根の城下町ができる以前の芹川が今もここを流れている。
開発の手から免れたこのエアポケットのようなエリアをゆっくり歩く。
芸能の神様、天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祭る千代神社、彦根の歴史を刻んだ金亀会館、緑に包まれた金亀公園、そしてヘレンケラーが訪れたという彦根訓盲院学跡の石碑……。
商店街へ出かけ用事を済ませたらちょっと辺りを散策してみる。商店街と自分、彦根と自分の新しい関係を見つけることができるかもしれない。
例えば少し前、盲導犬「チャンピィ」の話がNHKの「プロジェクトX」で放送され、彦根城の壕端と琵琶湖が映ったのを覚えている人も多いだろう。また、1994年少年マガジン44号、45号には「歩けアイメイト」という漫画が連載された。国産盲導犬第一号チャンピィを訓練した塩屋賢一氏の物語である。昭和32年の話だ。
チャンピィの主人は河相洌(かあいきよし)さん。戦争中、軍需工場での重労働がたたって失明。努力の末慶応大学文学部哲学科を卒業。滋賀県立盲学校に就職が決まり昭和31年、彦根に赴任。彦根での生活が始まる。チャンピィが彦根へやってきたのは昭和34年。塩屋先生は度々彦根を訪れ訓練を続けられたという。当時、盲学校は現在の図書館のところにあり、河相さんは中央町からチャンピィと学校に通っておられた。
「とにかく大きい犬でした。シェパードは耳が立っているものですが、チャンピィは垂れていたので恐い感じは無かったですね」
当時を知る人は今も覚えている。
盲導犬は一日一度自由に遊ぶことが許されている。護国神社がその場所として選ばれていたという。
彦根は、明治41年、盲人教育の聖者と言われる山本清一郎氏が彦根訓盲院校を創って以来のまちなのである。そして、彦根盲訓校はここにあったのだ。ちなみに、チャンピィが彦根を去って浜松へと行ったのは昭和35年のことだという。金亀公園には街頭テレビがあった頃だ。

この記事は、2002年11月10日執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合がございます。