あっ! 商店街の歩き方
2003.2.9
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発行 彦根商店街連盟
編集 彦根商店街連盟広報部会
「三中井」の屋号の由来は、先々代が三兄弟であったことから「三」、中江の姓の「中」、勝治郎氏の姉の嫁ぎ先の姓から「井」の文字をと名付けられた。
 『昭和二○年八月一五日の敗戦による大日本帝国の崩壊で最も大きな打撃を受けた五個荘商人が、中江勝治郎の株式会社三中井であった。これによって三中井は解体せざるを得なかったからである。本部を金堂におき……(五個荘町史 第二巻 962頁)』。
日清・日露戦争、第一次世界大戦……関東大震災、世界恐慌という激動の時代にあり、中江勝治郎は三中井百貨店を創立し朝鮮や中国に20店舗余を有する起業家だった。当時の百貨店はテナントという考え方は無く、全フロア全てを自社で経営していたという……。
 終戦、大陸に全てを置き去りにし家族が五個荘へ引き揚げてきたのは、中江進さん5歳。夢京橋の洋菓子店「三中井」のご主人である。洋菓子店の歴史は意外と新しく昭和30年代の初め、進さん14歳の時だった。
お父様である先代が、戦後、彦根で始めたのが煎餅の「委託加工業」という商売で、近隣の家庭や農家の人が持ち込む配給の小麦や砂糖を原料にして煎餅を焼くというものだ。甘いものが少ない時代にあってこの商売は大ヒットした。ところが、人の良い先代は「こんないい商売があるよ」とそのノウハウを皆に教えてあげたものだから、またたく間に同業のお店が増え、本家本元は遂に商売替えをすることになった。
 先代は京都の老舗から職人さんをスカウト、いきなり洋菓子店を本町で開業。当時の彦根には洋菓子専門店は一軒も無く、珍しかったとはいえ、まだまだ高価な嗜好品だったため、お商売の方はなかなか大変だったようである。それでも、品質の良い材料だけを使い、着色料や添加物を使わない自然な味を大切にしたお菓子づくりは、今も受け継がれている。
 軒先に掲げられた「三中井」の看板には、屋号にどっしりとした井桁の紋が入り、何やら彦根とも縁の深そうな老舗の風格が漂っている。これは、三中井百貨店の新築落成の時に配られた手ぬぐいのロゴをそのまま使っているからだ。
 洋菓子「三中井」のケーキやクッキーは今時流行の軽くあっさりとした洋菓子でなく、どれもしっかりとしたバターや卵の味がしてちょっとした感動ものである。
商品のラインナップはスタンダードが基本。「彦根城」「城下町」「びわこ」「さざなみ」などの名前のついた焼き菓子をはじめ、生ケーキは一年を通して10〜15種がガラスケースに並ぶ。なかでも「オリンピア」というベストセラーは、飾り気のない外観でありながら、中身は生クリームと果物の充実したオリジナルケーキである。職人の道を選んだ中江進さんの苦心の作である。
 まち歩きの楽しさは、「みんなの好きなオリンピア」を手に入れることだけではない。
看板に漂う風格に、或いは屋号の由来を知り訪ねると「シンプルにして美味」「目立つことなく地道」……そういう商いの在り方が見えて来ることにある。
 風格ある看板をお見逃しなく……。勿論、オリンピアも。
(協力/五個荘町歴史博物館)

この記事は、2003年2月9日執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合がございます。