2004.3.31

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商いでまちは変わる その1
商いでまちは変わる その2
商いでまちは変わる その3
50周年記念事業を終えて…
発行 彦根商店街連盟
編集 彦根商店街連盟広報部会

次世代を担う商店街の若手たちが、自分と商い・自分と商店街について今の気持ちを語ります。

花しょうぶ通り商店街 とばや旅館

和田一繁さん

五代目 和田一繁さん (36歳)

もともと、家を継ぐとは思っていましたが、8年前まではリゾート開発のデベロッパーをしていました。昔からお客さん相手の商売には興味があり、都会の商売よりはこっちの方が性に合っているような気もしましたし、それなら早い方がいいと思ったわけです。商店街の開発の話や会社の移動もあったので決心しました。
今、商店街の事業部長をしています。自分たちの商店街にどんな人がいて、どういう考え方をしている人なのか、やっと分かってきたような気がしています。そういうところから商店街とかお客さんとのおつき合いは始まるんですね。難しいですが、子どもたちや、高齢の方々にも集まってもらえるような商店街にしたいと思っています。商売のカタチはそれぞれの店の努力で、集客をお手伝いするのが商店街の活動だと思っています。
6月の「花しょうぶ祭り」の実行委員会も動き始めましたし、自分たちの暮らしのあるまちをもっと楽しみたいですね。

夢京橋キャッスルロード いと重菓舗

藤田武史さん

七代目 藤田武史さん (32歳)

私は次男坊なんです。兄が学者の道に進んだので、店を継ぐことになりました。5年前に帰ってくるまで銀行員をしていたので、和菓子の世界に身を投じた当初はカルチャーショックを受け、いろいろと戸惑うことも多かったです。
七代目のプレッシャーというものは特に感じてはおりません。これからも先祖から受け継いだ伝統は守り続け、そして自分のところでしかできないものを産み出していきたいと思っています。
和菓子は季節を先取りするように店先を飾ります。和菓子屋の店先は一番季節感にあふれているのではないでしょうか。また「和菓子は五感で味わう」といいます。見た目、香りだけでなく、その菓子の名前の響きも重要な要素ですので、一緒に味わっていただけたらと思います。商店街を歩かれるときの楽しみになればうれしいですね。

橋本商店街 すゞ平金物店

正村暁子さん

正村暁子さん

池坊で学生時代に華道を学び、今もなお私のライフワークの一つとし専念しています。そのことは、とりもなおさず、私自身人生の“極みにいたる花の道”そのものです。仕事の合間を見付けては京都に花の修業に通い、建築資材・日用雑貨・事務機器・贈答品の仕入れ、販売、事務一式をすべて背中におって日々頑張っています。現在の私にとって、仕事と華道は私の前進するべき、両輪です。
私の商売の師匠は両親です。仕事のことや商店街のことについても話題になることがあります。
今の時代に、安易な気持ちで新しいことに望むのではなく、商売そのもの、初心に返る勇気が大切だと思います。お客様には、身近な範囲から「小さな親切運動」を心がけ実践しています。
橋本商店街に元気がないのが現状の中で「お客様に何を為すべきか」の、商いの原点を、再認識すべきだと、家族の間で話題にしております。

中央商店街 玉屋眼鏡店

北村一裕さん

三代目 北村一裕さん (32歳)

大学の頃から家業を継ぐのだろうという予感はありました。就職も大津のメガネ屋さんにしました。彦根に帰ってきて驚いたのはお客様に高齢者の方が多いということです。自分の経験として、老眼の方がどのような不満や問題を持っておられるのか解らないので、メガネの使い方をできるだけ具体的にうかがうようにして、繰り返し繰り返し微調整をします。
最近は補聴器を取り扱うようになりました。耳の型をとり、その人に合った形状の補聴器をお作りします。聞こえ方を尋ねながら、微調整を繰り返します。機材が持ち運びできるので、ご自宅にうかがって調整させていただくこともあります。
商店街ですか…。商店街は個々のお店があっての話なので、イベントをやったりまとまって売り出しをするのも大切だと思いますが、結局は、それぞれのお店しだいなんですよね。

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 この記事は、2004年3月31日執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合がございます。