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大きな古い時計
2003.2.9
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発行 彦根商店街連盟
編集 彦根商店街連盟広報部会
 橋本商店街のノセ時計店の店内には古い時計が今も時を刻んでいる。
日本は太陰暦で不定時法を使っていた。日の出を「明け六つ」。日の入りを「暮れ六つ」とする時間の決め方である。当然、夏と冬とでは昼の長さは異なるのだが、明け六つには陽が昇り、暮れ六つには太陽が沈むという自然とともにあった暮らし方だったに違いない。
日本が太陽暦と定時法を採用したのは明治6年。ノセ時計店の歴史も定時法と共に始まりおおよそ百年と少しということになる。ご主人の野瀬正雄さんは三代目にあたる。
「機械はね、動いてこそ魂があるのです。動いていることに意味があるというのは人が息をしているのと同じなんですね」
動いている状態で保存することを「動態保存」というらしいが、店内で一斉に時を告げる古い時計……その音はそれぞれ個性的で、微妙にズレている……。
正確には野瀬さんは『動く(うごく)』を『いごく』と発音しているように聞こえる。
 ところで、この店内の古い時計の数々は、野瀬さんのコレクションのように思えるのだが、実はそうではない。もしもコレクターだったらば、手離すことはしないからだ。
野瀬さんは、時計職人の技を駆使して修理し、店頭に並べている。今……、古時計がブームだからと、古時計を仕入れたり、急に修理を始めたわけでもない。「動いてこそ、魂がある」とずっと、動態保存に努めてきただけなのだ。
 コレクターでもなければ、急造の古時計商人でもない……。
 こういうことなのだ。
百年と少しの時計屋さんである。→仕入れた時計を一時保管しておく倉庫のような蔵があった。→販売されなかったモノがそのまま眠り続けていた。→三代目の時代になった。→「動いてこそ魂だ」→からくりは息をふきかえし蔵の中で保管された……。つまり、ここにある多くの古い時計は、からくりは古いままに新製品みたいなものなのである。勿論、懐中時計のように、当時のハイカラな新しいモノを好んだ人々が、ノセ時計店で新しい時計を買い、使っていた時計を置いていったのが、再び「動いてこそ魂」と、時を刻み続けているというケースもある。
 もしも、古くて新しい時計に憧れたなら、一度訪ねてみるといい。そしてイメージを話し相談してみることだ。
何日かして再び訪ねると、憧れていたような新しい古い時計が店頭に飾ってあったりするかもしれない。 お訪ねあれ……。

この記事は、2003年2月9日執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合がございます。