2008.09.13

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城下町検定対策(1)
城下町検定対策(2)
「橋の市」開催!
発行 彦根商店街連盟
編集 彦根商店街連盟広報部会

山の湯・庶民の憩いの場・銭湯

かつて、彦根城下町は趣深い銭湯が密集する場所として多くの利用者があった。住民だけでなく県外からもわざわざ入浴のために訪れる人があったといい、最盛期には6軒の銭湯が趣向を凝らした浴場を有していた。今では世の中の流れの中で、そのほとんどが店を閉じてしまっている。
「山の湯」は今でも現役で営業している銭湯の一つだ。銀座町と中央町の間の裏道にあるこの一角は、江戸時代には彦根城外堀の内側土居の上であった。明治初年の開業で、彦根キリスト教会創立者の一人である三谷岩吉が設立したといわれている。
銭湯の外観は、寺院の屋根か彦根城天守を思わせるような唐破風屋根。浴槽は2種類あり、男女それぞれに「普通湯」と「薬湯」がある。かつての店内には、犀ヶ淵と呼ばれた彦根城外堀に面した休憩所も作られていた。
山の湯は、何度か改装されているが、それでも戦前のものではないかと思われるロッカー式の脱衣箱や、丸型の竹製の脱衣カゴ、古めかしい畳敷き木製のベビーベッドが置かれていて、昔の銭湯の賑わいを感じ取ることができる。また、今でも薬剤を配合した赤茶色の湯を慕って、遠方からやってくる入浴客もあるという。
山の湯の位置は昔と変化はない。昭和25年(1950)頃、マラリア対策の一環として外堀は埋め立てられ、コンクリート製の細い水路となり、外堀沿いにあった土居の一部は小高い土手のようになって残っている。旧城下の外堀土居を今に伝える数少ない貴重な遺構である。

いと重の益寿糖

昭和29年(1954)、井伊家の別館であった千松館が保存している古文書から次のような和歌が見つかった。

 「諸共に いさ(ざ)よきに 長き壽きを ますます以(い)との 心とも見よ」

これは、幕末の彦根藩主・井伊直弼の腹心である長野主膳義言(ながのしゅぜんよしとき)が、直弼から益寿糖という菓子を賜ったときに、返礼としてその上包紙に詠んだものであるといわれている。益寿糖という名称にひっかけ、全てにおいて良い、長い寿とは、まるで益々長い糸の心のようだと詠んでいる。益寿糖は、城下の「糸屋重兵衛」で作られていた菓子で、餅米と粟水飴を練り固めた餅に和三盆糖をまぶした餅菓子である。
和歌にある「いと」には糸屋重兵衛のことも含まれているのだろう。江戸時代終わりから明治時代にかけて、当地一番の銘菓といわれ、藩主から他家への贈答品としても使われていた。
糸屋重兵衛は文化6年(1809)の創業から200年、彦根城下町で営み続ける老舗である。井伊家御用達の菓子商で、直弼が自ら彫った落雁の型など、彦根城主にまつわる品が店に伝わっている。「いと重菓舗」と店名を改めた今も、茶道の極意「一会集」を編んだ直弼を偲ぶ「埋れ木」など、彦根銘菓を作り続けている。
ところで、彦根城町郵便局の前に「義言地蔵尊」がひっそり佇んでいる。直弼亡き後、藩論も尊皇攘夷に転換するなか、長野主膳は、直弼派の頭目として四十九町(現城町一丁目)の牢屋前で斬首された。その後主膳の霊を鎮めるべく、彼を偲ぶ者たちによって斬首跡地に地蔵尊が祀られたのである。

絹屋

滋賀県出身の小説家・幸田真音氏の作品に『あきんど 絹屋半兵衛』(新潮社・「藍色のベンチャー」改題)という歴史小説がある。湖東焼きの父として実在した商人・絹屋半兵衛を主人公に、幕末の彦根で繰り広げられた人間ドラマを描いた傑作長編だ。
絹屋半兵衛は、元々、呉服商として代々続いていた「絹屋」の跡取りとして迎えられた養子であった。京都方面との通商交流を積極的に行っていた半兵衛は次第に、当時、京都で盛んに作られていた陶器に関心を寄せるようになり、彦根産の焼き物を製造してみたいという思いを強くしていったといわれている。やがて何もない状態から、製陶業を興すための仲間や資金を集め、文政12年(1829)に藩から許可を得て、芹川河口に近い晒山に登り窯を完成させた。更に、半兵衛は独力で研鑽を積み重ね、新しい窯を佐和山の麓に築き、湖東焼特有の淡緑色を現す物主山石(むしやまいし)や敏満寺粘土など新しい原材料の発見や製陶技術の革新を成し遂げた。
窯はやがて軌道に乗り、天保2年(1842)に、藩窯として召し上げられるまで、14年にわたって半兵衛は湖東焼製造に心血を注ぎ続けた。
湖東焼は、直亮・直弼・直憲の3代にわたって井伊家の御庭焼として重用され、藩内の茶碗屋を始め大坂の瀬戸物問屋にも卸売りされた。特に、茶道の一派を極めた直弼からの信頼は篤く、半兵衛に伊藤の姓を許して優遇し、製陶興隆の業績を称えている。
江戸時代のまま現存する絹屋半兵衛の屋敷や、佐和山の麓には「湖東焼窯跡」の石碑が遺り、半兵衛の偉業を感じる手がかりを市内で目にすることができる。

 この記事は、2008年9月13日執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合がございます。