問題を読み、正しいものをA・B・Cの3つのうちから1つ選び、解答用紙に○をつけてください。
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「井伊直弼と開国150年祭」にあわせて彦根城博物館で開催している展覧会のシリーズ名として正しいものを次の中から選びなさい。
- シリーズ直弼と開国
- シリーズ直弼のこころ
- シリーズ直弼発見!
正解: C. シリーズ直弼発見! -
「井伊直弼と開国150年祭」のロゴでも使用されている英語タイトルとして正しいものを次の中から選びなさい。
- A Grand Exposition for 150th Year
- Ii Naosuke - Gateway to the future
- Re‐Discovery & New-Creation
正解: B. Ii Naosuke - Gateway to the future -
昭和35年、彦根城天守の解体修理が完成し、大老開国百年祭が行われました。この年の製作でないものを次の中から選びなさい。
- 彦根ばやし
- 彦根小唄
- 大江戸花吹雪
正解: B. 彦根小唄 -
「井伊家ゆかりの社寺めぐり」の催しについての説明として誤っているものを次の中から選びなさい。
- 対象となる社寺には、彦根市以外の社寺が含まれる。
- 朱印帳の表題は、「井伊家ゆかりのふく福めぐり」である。
- 全8ヶ所の社寺が対象となっている。
正解: C. 全8ヶ所の社寺が対象となっている。 -
彦根市は平成21年に歴史まちづくり法の認定を受けましたが、これについての説明として誤っているものを次の中から選びなさい。
- 彦根市と同時期に認定を受けた都市に神奈川県鎌倉市がある。
- 彦根市は第1号に認定を受けた。
- この事業では、歴史的な町並みの維持と向上をめざす。
正解: A. 彦根市と同時期に認定を受けた都市に神奈川県鎌倉市がある。 -
歴史まちづくり法による事業として保存修理を計画している建物を次の中から選びなさい。
- 旧池田屋敷長屋門
- 旧西郷屋敷長屋門
- 旧鈴木屋敷長屋門
正解: A. 旧池田屋敷長屋門 -
平成20年度に彦根市の指定文化財に指定された文化財についての説明として、誤っているものを次の中から選びなさい。
- 建物は、すべて旧彦根藩善利組足軽に関わる建物である。
- 大坂夏の陣の様子を描いた屏風が指定された。
- 全部で4件が指定された。
正解: B. 大坂夏の陣の様子を描いた屏風が指定された。 -
平成20年度に彦根市内で発掘調査を行った竹ヶ鼻遺跡についての説明として、正しいものを次の中から選びなさい。
- 当時の寺院や役所の跡と推定できる遺構が見つかっている。
- 約1200年から1000年前(平安時代前期)の遺跡である。
- 遺跡から大量の貝がらが出土した。
正解: A. 当時の寺院や役所の跡と推定できる遺構が見つかっている。 -
肥田城についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 宇曽川を堰き止めた水攻めは成功した。
- 約450年前に肥田城で水攻めの戦いがあった。
- 城主高野瀬秀隆は豊臣秀吉の家臣となった。
正解: B. 約450年前に肥田城で水攻めの戦いがあった。 -
彦根山は、古く、観音信仰の霊場として知られていました。記録によりそれが確認できるのは何時代からか、正しい時代を次の中から選びなさい。
- 奈良
- 平安
- 鎌倉
正解: B. 平安 -
彦根城が建てられる前、この地域で政治的な拠点だったのは佐和山城でした。佐々木定綱の六男佐保時綱が居城したその最初とされる時代を次の中から選びなさい。
- 奈良
- 平安
- 鎌倉
正解: C. 鎌倉 -
佐保時綱が居城した頃、佐和山は別の名前でも呼ばれていました。その名前を次の中から選びなさい。
- 佐保山
- 佐々木山
- 時綱山
正解: A. 佐保山 -
永禄11年(1568)、織田信長が上洛をめざして近江にやってきた時、妹お市の夫である浅井長政と対面したと伝わる場所を次の中から選びなさい。
- 佐和山城
- 彦根寺
- 肥田城
正解: A. 佐和山城 -
元亀元年(1570)6月、姉川の合戦で信長に敗れた浅井・朝倉軍は、浅井氏の居城小谷城と佐和山城を拠点として、戦いを続けました。佐和山城では8ヶ月におよぶ籠城の末、元亀2年2月に降伏しましたが、降伏した時、佐和城は誰が守っていたか次の中から選びなさい。
- 浅井政之
- 磯野員昌
- 本多忠勝
正解: B. 磯野員昌 -
問14で、籠城の末に破れ、佐和山城は織田信長に明け渡されました。新たな城主には誰が就いたか次の中から選びなさい。
- 石田三成
- 豊臣秀吉
- 丹羽長秀
正解: C. 丹羽長秀 -
彦根市内の龍潭寺が所蔵する石田三成を描いた肖像画で、三成が手に持っているものを次の中から選びなさい。
- 刀
- 帳面
- 筆
正解: B. 帳面 -
石田三成の父についての説明として誤っているものを次の中から選びなさい。
- 名は石田正継である。
- 三成の代わりに領地の支配を行った。
- 関ヶ原合戦では、大垣城を守った。
正解: C. 関ヶ原合戦では、大垣城を守った。 -
関ヶ原合戦図屏風にも描かれている、戦場で石田三成の部隊を示す旗に描かれている文字として正しいものを次の中から選びなさい。
- 石田
- 大一大万大吉
- 天下泰平
正解: B. 大一大万大吉 -
佐和山城は、東山道(江戸時代の中山道)を正面とする構造で、鳥居本方面へ向かう東裾が大手(正面)。そして、山の西麓にも武家屋敷や米蔵があったといわれています。では、石田三成の重臣嶋左近の屋敷があったと伝えられる場所に現在建っているものを次の中から選びなさい。
- 清凉寺
- 天寧寺
- 龍潭寺
正解: A. 清凉寺 -
彦根城築城前の絵図には、彦根山に向かって南側からまっすぐ続く並木道が描かれています。この道は「巡礼街道」または( )と呼ばれる彦根山への参詣道でした。( )内にあてはまるものを次の中から選びなさい。
- 彦根参道
- 御幸道
- 朝鮮人街道
正解: B. 御幸道 -
彦根城の築城計画についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 井伊直継が徳川家康に会って築城場所を決めた。
- 慶長8年(1603)に決定した。
- 織田信長も彦根山に築城する計画をしていた。
正解: B. 慶長8年(1603)に決定した。 -
彦根城の築城の設計に関わった人物として正しいものを次の中から選びなさい。
- 大坂城に石を運んだ加藤清正
- 甲良町出身の藤堂高虎
- 武田信玄の家臣だった早川弥惣左衛門
正解: C. 武田信玄の家臣だった早川弥惣左衛門 -
天正10年(1582)、武田家が滅びた後の甲斐・信濃を手に入れた徳川家康は、武田の家臣74名を直政の家臣とし、武田の軍法や武田家の「赤備え」を継承するように命じました。その赤備えはどの隊のものと伝わるか次の中から選びなさい。
- 真田幸村
- 黒田如水
- 飯富虎昌
正解: C. 飯富虎昌 -
彦根城の石垣についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 細長い石を積み重ねた牛蒡積みという積み方が見られる。
- 石垣を築いたのは井伊家が高崎城から連れてきた職人たちである。
- 石垣で使った石の多くは、湖西地域から運んだ石を使用している。
正解: A. 細長い石を積み重ねた牛蒡積みという積み方が見られる。 -
彦根城内に現存する建物のうち、築城当初の元和8年(1622)までに完成したものを次の中から選びなさい。
- 天秤櫓
- 佐和口多聞櫓
- 表御殿
正解: A. 天秤櫓 -
井伊直政についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 織田信長から「侍従」という高い身分を授かった。
- 関ヶ原合戦の約1年半後に死去した。
- 父である井伊直親と一緒に徳川家康の家臣となった。
正解: B. 関ヶ原合戦の約1年半後に死去した。 -
彦根藩歴代の藩主についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 4代直興は、2回藩主の座に就いている。
- 8代直定は、藩主就任半年足らずで死去した。
- 12代直亮は、隠居後に趣味を楽しむ暮らしを送った。
正解: A. 4代直興は、2回藩主の座に就いている。 -
大老についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 井伊直弼は、老中を勤めたのちに大老に就任した。
- 江戸時代を通じて、井伊家以外には大老に就いていない。
- 将軍を支える役職として、江戸幕府最高の立場にあった。
正解: C. 将軍を支える役職として、江戸幕府最高の立場にあった。 -
大坂冬の陣で井伊軍の大将をつとめるよう徳川家康から命じられた人物を次の中から選びなさい。
- 井伊直孝
- 井伊直継
- 井伊直時
正解: A. 井伊直孝 -
寛永9年(1632)、2代将軍徳川秀忠は亡くなる直前に井伊直孝を枕元に呼び、ある務めを命じました。その務めを次の中から選びなさい。
- 外様大名の目付役
- 徳川家光の後見役
- 徳川家綱の元服式での加冠役
正解: B. 徳川家光の後見役 -
弘化4年(1847)、頻繁に姿を見せるようになった外国船を警戒するため、井伊家は相模国(神奈川県)三浦半島の警備を命じられ、家臣を派遣して陣屋や砲台といった軍事施設を築いています。これを命じられた当時の彦根藩主を次の中から選びなさい。
- 井伊直亮
- 井伊直弼
- 井伊直中
正解: A. 井伊直亮 -
井伊直弼は男子15人、女子5人の20人兄弟です。直弼は14男ですが、兄弟としては何番目として生まれたか次の中から選びなさい。
- 16番目
- 18番目
- 19番目
正解: C. 19番目 -
井伊直弼は、文芸作品にさまざまな雅号を用いていますが、直弼が使った雅号ではないもの次の中から選びなさい。
- 宗観
- 無名翁
- 柳王舎
正解: B. 無名翁 -
井伊直弼が着用した甲冑として彦根城博物館に現存するものについての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 朱漆塗の部品を紅糸でつないで組み立てられている。
- 国指定の重要文化財である。
- 直弼の父である井伊直中の遺品を譲り受けたものである。
正解: A. 朱漆塗の部品を紅糸でつないで組み立てられている。 -
清凉寺が所蔵する井伊直弼画像についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 直弼の生前に描かれたものである。
- 直弼の着衣は朱色である。
- 上部には直弼自筆で漢詩が記されている。
正解: A. 直弼の生前に描かれたものである。 -
文章中( 1 )の条約名を次の中から選びなさい。
- 日米修好条約
- 日米友好
- 日米和親条約
正解: C. 日米和親条約 -
文章中( 2 )に入る正しい語句を次の中から選びなさい。
- 朝廷
- 幕府
- 彦根藩
正解: B. 幕府 -
文章中( 3 )に入る正しい語句を次の中から選びなさい。
- 外様大名
- 旗本
- 譜代大名
正解: A. 外様大名 -
文章中( 4 )には徳川斉昭らグループを現す言葉が入ります。次の中から選びなさい。
- 天狗党
- 一橋派
- 水戸学派
正解: B. 一橋派 -
文章中( 5 )に入る人物名と、直弼らが将軍にしようとした人物名の正しい組み合わせを次の中から選びなさい。
- 徳川慶福 ・ 徳川昭武
- 徳川昭武 ・ 徳川慶福
- 一橋慶喜 ・ 徳川慶福
正解: C. 一橋慶喜 ・ 徳川慶福 -
文章中( 6 )に入る正しい語句を次の中から選びなさい。
- 阿部正弘
- 堀田正睦
- 間部詮勝
正解: B. 堀田正睦 -
直弼政権の「公武合体」策によっておこなわれた、将軍家茂と和宮の婚姻はつつがなく済みましたが、その後まもなく、幕府で文久の政変が起こりました。これは薩摩藩の島津久光が兵を率いて上京し、天皇の勅命をもって幕府のトップを交替させるよう要求したものですが、その結果、どんな人事改革が行われたか正しいものを次の中から選びなさい。
- 徳川家茂を将軍後見職とする
- 徳川慶喜を将軍とする
- 松平慶永を政事総裁職とする
正解: C. 松平慶永を政事総裁職とする -
文久の政変後、彦根藩は召し上げられた10万石の回復と直弼に浴びせられた「違勅の臣」の汚名をそそぐことを課題とし、幕府の言われるままに、次々に出兵し幕府のために戦っています。彦根藩が幕府のために出兵した戦いでないものを次の中から選びなさい。
- 禁門の変
- 長州戦争
- 鳥羽伏見の戦い
正解: C. 鳥羽伏見の戦い -
慶應3年(1867)、将軍徳川慶喜が大政奉還した後、王政復古の大号令を発した新政府は、慶喜を排除することを宣言し、朝幕合体的な新政府を目指す慶喜と武力衝突しました。この戦争を次の中から選びなさい。
- 薩英戦争
- 西南戦争
- 戊辰戦争
正解: C. 戊辰戦争 -
江戸時代の彦根藩の足軽について説明として誤っているものを次の中から選びなさい。
- 江戸時代後期には約1000人がいた。
- 鉄砲や弓を使う歩兵のことである。
- 春から秋にかけては農業に従事していた。
正解: C. 春から秋にかけては農業に従事していた。 -
仏教を深く信仰し、永源寺に自らの墓を生前に建立した彦根藩主を次の中から選びなさい。
- 井伊直興
- 井伊直継
- 井伊直中
正解: A. 井伊直興 -
彦根城は、江戸から京へ向かう将軍の宿泊施設という役割も持っており、表御殿には建築当初、御守殿という建物がありました。江戸時代中期に取り壊され、御座之御間が建てられました。だれが生活する場所だったか次の中から選びなさい。
- 家老
- 正室と側室ら
- 藩主
正解: C. 藩主 -
全国を測量し「大日本沿海輿地全図」を作った伊能忠敬は、彦根には文化2年(1805)と翌年の2度訪れています。彦根城下で忠敬が泊まった町を次の中から選びなさい。
- 伝馬町
- 本町
- 連雀町
正解: A. 伝馬町 -
彦根にやってきたことのある将軍は、家康・秀忠・家光ともう一人です。その人物を次の中から選びなさい。
- 家綱
- 吉宗
- 家茂
正解: C. 家茂 -
彦根城は三重の堀をめぐらし、城下を行き来するためには、武士も町人も堀に架かった橋を渡らなければなりませんでした。中堀、外堀には、合計いくつの橋が架かっていたか次の中から選びなさい。
- 5
- 9
- 11
正解: C. 11 -
問50の、橋にはそれぞれの場所に門が設けられ、門番が出入りを監視し、城下の治安を守っていました。各門は、明け六つから暮れ六つまで開門し、暮れ六つの鐘が鳴ると門を閉めました。その後も、四つ時までは潜り戸は開いていたので、住人などは通行できましたが、暮れ六つ以降、女性の通行にはある条件がありました。その条件を次の中から選びなさい。
- 城内に居住していること
- 提灯を持って送る人が付き従っていること
- 行き先を書いた書状を持っていること
正解: B. 提灯を持って送る人が付き従っていること -
江戸時代、彦根の城下町で販売する店舗が何軒もあり、庶民も口にしていた食品として正しいものを次の中から選びなさい。
- 豆腐
- 牛乳
- 蒲鉾
正解: A. 豆腐 -
「七曲がり」と通称される道は、ある地域から彦根城下町へ入るルートにあたります。その地域を次の中から選びなさい。
- 中山道高宮宿
- 中山道鳥居本宿
- 朝鮮人街道八幡町
正解: A. 中山道高宮宿 -
明治時代に活躍した彦根出身の人物とその分野の組み合わせとして誤っているものを次の中から選びなさい。
- (人物)岸 竹堂 (分野)日本画家
- (人物)日下部鳴鶴 (分野)書家
- (人物)西村捨三 (分野)外交官
正解: C. (人物)西村捨三 (分野)外交官 -
彦根城表門橋のたもとに建てられている石碑に刻まれている文字を次の中から選びなさい。
- 月明彦根の古城
- 花の生涯記念
- 鮒すしや彦根の城に雲かかる
正解: A. 月明彦根の古城 -
俳遊館の建物についての説明として正しいものを次の中から選びなさい。
- 江戸時代の商家を移築した建物である。
- 大正年間に立てられた金融機関の建物である。
- 松尾芭蕉が宿泊した建物を再現した建物である。
正解: B. 大正年間に立てられた金融機関の建物である。 -
松原橋には、ある時期回転橋が架かっていましたが、その時期を次の中から選びなさい。
- 元和8年(1622)〜明治11年(1878)
- 明治27年(1894)〜昭和22年(1947)
- 昭和2年(1927)〜昭和44年(1969)
正解: C. 昭和2年(1927)〜昭和44年(1969) -
秋のゑびす講にゆかりのふかい神社の名称として正しいものを次の中から選びなさい。
- エビス神社
- 恵比須神社
- 蛭子神社
正解: C. 蛭子神社 -
風景画を得意とし、昭和30年(1955)に「彦根城原形全景図」を描き、その後消えゆく町並みを描いて記録した人物を次の中から選びなさい。
- 上田道三
- 小林 郁
- 山本清一郎
正解: A.上田道三 -
「彦根城下町検定公式テキストブック」の表紙に、「ひこにゃんと( )を学ぶ本」と書かれています。( )には何が入るか次の中から選びなさい。
- 城下町
- 彦根
- 彦根の歴史
正解: A. 城下町 -
JR彦根駅前広場に井伊直政の乗馬姿の銅像がありますが、その馬の前脚の状態を次の中から選びなさい。
- 右脚を上げている
- 左脚を上げている
- 両脚を上げている
正解: B. 左脚を上げている -
駅前商栄会の「いずみや酒店」の店内にある大きな酒瓶には、通常の入れ方をすれば、どれ位の量が入るか次の中から選びなさい。
- 約15リットル
- 約18リットル
- 約20リットル
正解: B. 約18リットル -
駅前商栄会の鮨割烹「銀水」には、ひこにゃんにちなんだ「にゃんこ巻」があります。その中の具を次の中から選びなさい。
- うに
- かつおぶし
- とろ
正解: B. かつおぶし -
佐和町商店街は彦根の商店街の中ではもっとも距離の短い商店街と言われていますが、その距離を次の中から選びなさい。
- 約150m
- 約180m
- 約200m
正解: A. 約150m -
佐和町商店街の「丸宮時計店」の店主はいろんなものを自分で作ってしまいます。間違っているのものを次の中から選びなさい。
- 家づくり
- 野菜づくり
- 時計の部品づくり
正解: A. 家づくり -
佐和町商店街の「さざなみ酒店」の店主は酒屋以外にもしていることがあります。次の中から選びなさい。
- 酒造り
- 市議会議員
- ラジオのパーソナリティー
正解: C. ラジオのパーソナリティー -
おいでやす商店街に変わる前の名称を次の中から選びなさい。
- 京町商店街
- 京町通り商店街
- 東銀座商店街
正解: B. 京町通り商店街 -
おいでやす商店街の「木下呉服店」の主人は店にいる時も外に出かける時もほとんど毎日特徴のある恰好をしています。その姿を次の中から選びなさい。
- 着物姿
- 黒のスーツ姿
- 鉢巻姿
正解: A. 着物姿 -
おいでやす商店街の町家風の建物の軒先に丁稚奉公の少年をモチーフにしたレリーフが飾られています。この少年の名前を次の中から選びなさい。
- 彦坊
- 彦太郎
- 彦助
正解: C. 彦助 -
登リ町グリーン通り商店街の料亭「伊勢幾」では、お客さまに人気の定番の魚料理があります。その昔、外堀の近くで湧き水によるいけすを造り、この料理のための魚も放流していたといわれています。その料理を次の中から選びなさい。
- 鮒寿司
- 鯉こく
- 鯉の煮付け
正解: B. 鯉こく -
登リ町グリーン通り商店街の「花廣」では、1年を通じて販売しているミディ胡蝶蘭「アマビリス」があります。その花言葉を次の中から選びなさい。
- 幸せが飛んでくる
- お金が舞い込む
- 元気がでる
正解: A. 幸せが飛んでくる -
登リ町グリーン通り商店街の創業50周年を迎えた婦人服の店「株式会社リヨン」。この店名「リヨン」と同じ名称の都市があります。この都市は絹織物の産地として有名ですので、ファッション関係にちなみこの名前を店名にしています。この都市がある国を次の中から選びなさい。
- イギリス
- イタリア
- フランス
正解:C. フランス -
登り町グリーン通り商店街では、イベント毎にある特徴の街装飾を行うようにしています。名前の由来にも関係するそれを次の中から選びなさい。
- 緑色のバナー
- 緑色ののれん
- のぼり旗
正解: C. のぼり旗 -
花しょうぶ通り商店街一帯で毎年6月に行われている祭りを次の中から選びなさい。
- アートイン花しょうぶ
- アートフェスタ菖蒲市
- アートフェスタ勝負市
正解: C. アートフェスタ勝負市 -
花しょうぶ通り商店街の戦国ショップ「しょうぶ屋」から生まれたキャラクターを次の中から選びなさい。
- おおたににゃんぶ
- ひこにゃん
- しまさこにゃん
正解: A. おおたににゃんぶ -
花しょうぶ通り商店街の魚屋「魚浩」が営業するさかな屋食堂に人気の丼ものがあります。その一番人気を次の中から選びなさい。
- 海鮮丼
- 親子丼
- 牛丼
正解: A. 海鮮丼 -
花しょうぶ通り商店街のひこね街の駅のキャラクターである、いしだみつにゃん・おおたににゃんぶ・しまさこにゃんのうち、街の駅「戦國丸」に住んでいるキャラクターを次の中から選びなさい。
- いしだみつにゃん
- おおたににゃんぶ
- しまさこにゃん
正解: C. しまさこにゃん -
リバーサイド橋本通りの「ずゞ平」は創業101年目になります。屋号の由来を次の中から選びなさい。ちなみに「平」は、先祖代々の平兵衛、平左ヱ門からとったものです。
- 錫(金銀銅錫)
- 数珠(念珠)
- 鈴
正解: B. 数珠(念珠) -
リバーサイド橋本通りの「千成亭」オリジナルの「かのこ(霜降)ハンバーグ」は霜降肉の赤身に白い脂肪(サシ)がてんてんとまじる姿が、ある動物の模様に似ていることから「かのこ肉」と呼ばれています。その動物を次の中から選びなさい。
- 猪
- 鹿
- キリン
正解: B. 鹿 -
地域活性化をめざしたリバーサイド橋本通りにある「いこう館」では毎月1回「橋の市」と称して、新鮮野菜・豆腐・玉子などを販売しています。その開催日を次の中から選びなさい。
- 毎月1日
- 毎月10日
- 毎月月末
正解: B. 毎月10日 -
リバーサイド橋本通りの炭火焼レストラン「沙斗羅」では、本格備長炭を使い、近江牛ステーキなど、さまざまな食材を提供しています。備長炭は大きく分けてどれに当てはまるか次の中から選びなさい。
- 白炭
- 黒炭
- 石炭
正解: A. 白炭 -
銀座町は昭和26年に2つの町が1つになってできた町です。川原町とあと1つを次の中から選びなさい。
- 一番町
- 土橋町
- 大工町
正解: B. 土橋町 -
銀座商店街の「18BANフルーツ」の横にひこにゃんがいます。はたしてこのひこにゃんは何で出来ているのでしょう。次の中から選びなさい。
- ダンボール
- ねんど
- 布
正解: A. ダンボール -
銀座商店街の「釘平金物店」は創業約270年、大昔は鍛冶屋でした。釘平の名前の由来にもなっている、鍛冶屋の頃に作っていたものを次の中から選びなさい。
- 鉄がま
- くわ
- 釘
正解: C. 釘 -
銀座商店街の丁子屋薬局が創業した時代を次の中から選びなさい。
- 平安時代
- 江戸時代
- 平成
正解: B. 江戸時代 -
創業宝永7年(1710)と中央商店街で最も古いお店を次の中から選びなさい。
- わたか額縁店
- 美濃屋紙店
- 日の丸屋結納店
正解: A. わたか額縁店 -
中央商店街の「大菅製菓(菓心おおすが)」の彦根名物「三十五万石」はつぶよりの小豆を独特の味に炊きつめた最中です。この小豆餡との組み合わせが2種類あります。1つはお餅、もう1つを次の中から選びなさい。
- クリーム
- 栗
- くるみ
正解: B. 栗 -
毎年11月に開催されるゑびす講だけに販売される、中央商店街の料亭「さわだ」の商品を次の中から選びなさい。
- 大老焼鯖寿司
- まつたけご飯
- うどん
正解: A. 大老焼鯖寿司 -
四番町スクエアの童子像は、奈良のせんとくんと同じ藪内佐斗司教授の作品ですが、街のなかに何体あるか次の中から選びなさい。
- 5体
- 6体
- 7体
正解: B. 6体 -
四番町スクエアの「小牧かまぼこ」では子どもたちに大人気のキャラクターのかまぼこをつくって販売しています。そのキャラクターを次の中から選びなさい。
- ひこにゃん
- 機関車トーマス
- アンパンマン
正解: C. アンパンマン -
四番町スクエアの焼肉ダイニング「千乃房」では未経産の雌牛でA4クラス以上のものを使用していますが、近江牛肉についている固体識別番号の桁数を次の中から選びなさい。
- 8桁
- 10桁
- 12桁
正解: B. 10桁 -
四番町スクエアの「わかくさ堂」の地元の材料を使ったこだわりの商品を次の中から選びなさい。
- おはぎ
- 小麦だんご(がらたて)
- よもぎだんご
正解: C. よもぎだんご -
夢京橋キャッスルロードの「からんころん」で販売しているひこにゃんのオリジナルグッズ、押絵ひこにゃんストラップの素材を次の中から選びなさい。
- ガラス
- プラスチック
- ちりめん
正解: C. ちりめん -
夢京橋キャッスルロードの酒売処「林屋」のオリジナルの酒を次の中から選びなさい。
- 純米吟醸「夢京橋」
- 米焼酎「彦根城」
- 原酒「石田三成」
正解: A. 純米吟醸「夢京橋」 -
夢京橋キャッスルロードの夏の風物詩として、各店の前に鉢植えを置いていますがその花の名前を次の中から選びなさい。
- 朝顔
- 昼顔
- 夕顔
正解: C. 夕顔 -
夢京橋キャッスルロードの「いい福招福まつり」で生まれた日本で2番目に大きい「おみくじ」があります。重さは約30kgですが、その高さは何センチあるか次の中から選びなさい。
- 112.9cm
- 115.9cm
- 118.9cm
正解: A. 112.9cm -
敗戦と共に国内至る所焦土と化しあらゆる物資の欠乏に、お互いが助け合い譲り合った一時代が過ぎ、戦後の日本が未来に明るさを見出し始めた頃、商店街の近代化と商店街活動を強力なものとするために彦根商店街連盟が誕生しました。その設立は昭和何年か次の中から選びなさい。
- 昭和27年
- 昭和25年
- 昭和30年
正解: A. 昭和27年 -
彦根商店街連盟の50周年には、「4つのブロックに分けた商店街で計50回買い物をしてください」という壮大なポイントラリーと共に、商店街の個店の魅力を紹介する『あっ!一店逸品ガイドブック』を発行しました。そして、50周年記念式典・大抽選会には会場にあふれんばかりの多くの方にお越しいただきました。さて、この式典は西暦何年に行われたか次の中から選びなさい。ちなみに、昭和27年は西暦1952年です。
- 2004
- 2003
- 2002
正解: C. 2002 -
井伊直弼と開国150年祭を記念して彦根商店街連盟では、11月15日から、150年祭終了まで「150(イコオ)セール」を企画しています。商店街連盟加盟店の各店では毎月15日に「15」「150」に因んだ割引やセールを行う予定です。さて、この「150(イコオ)セール」、井伊直弼と開国150年祭終了まで何回行われるか次の中から選びなさい。
- 5回
- 3回
- 7回
正解: A. 5回 -
図の中に示される道のうち、現道が江戸時代にはなく、明治以降に新しくできた道を次の中から選びなさい。
- 駅前お城通り
- 夢京橋キャッスルロード
- 花しょうぶ通り
正解: A. 駅前お城通り
問36〜問41
以下は、「彦根城下町検定公式テキストブック」の52ページに掲載されている「ペリー来航の余波」と題した文章の一部分です。
それぞれの( )内に入る正しい語句を選びなさい。または、指示に従って答えなさい。
嘉永6年(1853)、ペリーが来航して( 1 )を結ぶと、次にアメリカは開国すなわち通商条約の締結を求めます。
( 2 )は挙国一致してこの状況を乗り切ろうと考えますが、かえって、それまでの幕政に関わってこなかった徳川一門や( 3 )、さらに朝廷が政治に参入する機会を与えることになりました。
水戸藩主徳川斉昭たち( 4 )は、斉昭の男子である( 5 )を次期将軍にしようと画策したり、老中( 6 )が、通商条約の許可を求めるため上京したのに対して、親しい公家を通じて条約を許可しないよう工作するのでした。
以下は、「彦根城下町検定公式テキストブック」の52ページに掲載されている「ペリー来航の余波」と題した文章の一部分です。
それぞれの( )内に入る正しい語句を選びなさい。または、指示に従って答えなさい。
嘉永6年(1853)、ペリーが来航して( 1 )を結ぶと、次にアメリカは開国すなわち通商条約の締結を求めます。
( 2 )は挙国一致してこの状況を乗り切ろうと考えますが、かえって、それまでの幕政に関わってこなかった徳川一門や( 3 )、さらに朝廷が政治に参入する機会を与えることになりました。
水戸藩主徳川斉昭たち( 4 )は、斉昭の男子である( 5 )を次期将軍にしようと画策したり、老中( 6 )が、通商条約の許可を求めるため上京したのに対して、親しい公家を通じて条約を許可しないよう工作するのでした。